以前訪れたときにも立ち寄ったのですが、あまり時間がなく、その上修学旅行生たちと一緒になり、ゆっくり見ることができなかったのです。

戦時中、従軍看護婦として看護に尽くし、突然の米軍の侵攻により戦死と自決で悲劇的な最期を迎えた、
沖縄師範学校女子部の生徒と職員、の遺骨が祀られています。


1946年建立のひめゆりの塔です。
沖縄戦で亡くなった女師・一高女の教師・学徒の慰霊碑で、終戦翌年、付近の収容所にいた真和志村民によって建立されました。<案内板より>


慰霊塔の前には・・・

いわまくら かたくもあらん
やすらかに ねむれとぞいのる
まなびのともは
この歌は、死んでいった学友たちを悼んだものです。
島の南の果てに追いつめられて、岩陰や洞窟に隠れた学友達は、
堅いごつごつした岩場で亡くなっていきました。
そのようなかたちで死ぬのはさぞ無念で辛かったことでしょう。
生き残った私たちが、戦争の愚かさと平和であることのすばらしさを、
あなたがたに代わって訴えていきますので、心安らかに眠って欲しい。
この歌は戦争で多くの学友を失った私たちすべての心そのものです
ひめゆり学徒隊に関する資料を保管・展示し、戦争の悲惨さを後生に伝えるためのひめゆり平和祈念資料館

よりわかりやすく展示されていました。
「鎮魂」の展示室の壁には、犠牲となった少女たちひとりひとりの写真に、命を終えた時の状況が詳しく記された
フォトパネルがひっそりと並んでいて、生存者の証言本を読むことができます。

生存者の高齢化により、証言映像の上映に切り替えられていました。
この美しい海に囲まれた沖縄で67年前に悲惨な戦争がおこっていたという事を私たちは知らなくてはいけない。そして、忘れてはいけない。
今回は、修学旅行生もおらず空いていたので、しっかり学ぶことができました。
気が付いたら、PM3時。そろそろ出なくては・・・。

そういえば、お昼を食べていない。夢中になっていて、お昼を食べ損ねた私たちです。さすがに、お腹が空きました。
空港に向かう途中で立ち寄ったお店「守礼そば」



沖縄食べ納めということで、チャンプルーも。


お昼時だったら、島唄ライブを聴けたそうです。残念。

長いことひっぱってしまった沖縄旅行記も、これでおしまいです。
お付き合いくださってありがとうございました。沖縄、とっても楽しかったです。また行けたらいいな。